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(成人式前撮り時の)母親の着物

成人式の母親の着物Q.(成人式前撮り時の)母親の着物について

初めまして、突然の質問失礼いたします。
実は娘が成人式を迎え、6月に前撮りの予定です。
その際せっかくなので家族写真も撮ったらどうかと勧められています。
私は50歳になりますが、嫁入りのときの着物は無理があるでしょうか?

1.付け下げ...淡いオレンジ色で部分的に絞り模様裾に花の刺繍(少し)が施されています。
2.付け下げ...コバルトブルー←これはかなり派手
3.色無地(一つ紋)...くすんだローズ色
4.種類不明...淡い黄色にオレンジ色の小さな花、全体的に柄が入っています。(柄は少なめ)
新品でいただいた着物で小紋なのか付け下げなのかよくわかりません。

やはり50歳ともなると、紫だったり萌葱色、グレーがよいのでしょうか?
母が健在なら聞けるのですが...
お忙しいところ恐縮ではございますがアドバイスをいただければ幸いです。

(I様)


成人式の母親の着物について 着物倶楽部管理人です!
ご質問ありがとうございます。

娘さんのご成人おめでとうございます。
お母様もお着物を着られるということをお聞きし、嬉しく思います!

ご質問についてですが、
お嫁入り支度の時に作られたお着物をお召しになりたいとのことですが
まずご自身ではどのように感じられているでしょうか?

年齢に応じた着物の選び方は、
色もそうですが年齢との調和を考える上で大切なことは「柄の大きさ」です。


分かりやすく言えば、
10代、20代の方が着る黒地など地味な色目の着物は柄(=模様)が大きめです。
訪問着などの場合だと、柄の高さも帯下くらいまである着物があります。
また留袖などが良い例です。
同じ黒の留袖でも、40代と70代の方の留袖では柄の大きさや高さが異なります。

色目についてですがローズ系でくすんでいるといっても
着物の色については一言では表現できません。
着物の色が多彩で、同じ色がないことも着物の特徴でもあります。

しかしIさんの場合、
(お母様が)お嫁入り支度の時に作ってくださったということ、
娘さんのご成人ということも考えると
少なくとも20年の月日が経過していることとなりますので
一般的に少し派手と考えるのが無難かと思います。

お知らせいただきましたお持ちのお着物について、
推測になりますが
4.は小紋もしくは付け下げ小紋と思われますので、
これは今回のお祝いごとではお召しになれませんので
お芝居を見に行かれる時やお買い物の時に着用されると良いかと思います。

3.の色無地は1つ紋ということですが、
色無地は紋の入れ方により着用する場面というのは異なってきます。
糸で入れられた紋(縫い紋)でしたら、
染め抜き紋より少しカジュアルな場面での着用になります。
(補足ですが、色無地の場合は江戸小紋のような格の高い着物もあり、江戸小紋は色無地と違って別格)

娘さんのご成人のお祝いで色無地だと、
格の高い袋帯を締められたとしてもお写真を撮られることを考えると
少し晴れやかさが足りないように思います。

今回の主役は娘さんです。

娘さんの着物より目立つ色目のお着物だと困りますので(笑)、
それを考え、娘さんやお母様のご姉妹など心易い方に
一度お尋ねになられたらいかがでしょうか?

現在お持ちのお母様のお着物は、娘さんに譲られ
お母様のお着物を作られるのが良いかもしれませんね!
ステキなお写真となることと思います。

(2011.5.18)



着物のアクセサリーについて

着物のアクセサリーについてQ.前から気になる事があり、質問させて頂きます。
3つ年下の友達が茶道で着物の時も細い鎖のネックレスをしてて、なんとも襟元の印象が薄れ、すっきりしないように見えるのです。 私は何故かバーのマダムを想像してしまう程です、良くない例として。
着物は一切のアクセサリー(ネックレス、イアリング、ブレスなどの洋の物等)を必要としない位完成度の高い衣服だと思います。 勿論、髪留めとか、帯留め等の和の物、叉指輪は別ですが。。。
是非ご意見を伺いたいと思います。
(H様)


着物のアクセサリーについて 着物倶楽部、管理人です、ご質問ありがとうございます!!

はい、H様の仰る通り「着物は、完成度の高い衣服」です。
結論から申し上げますと、アクセサリーは不要と思われます。
そのため、華やかさが必要な着物には、螺鈿(貝を用いたもの、簪(かんざし)等にも用いられる)や豪華な刺繍などで装飾されています。格で言うと、礼装、具体的な着物で言うと振袖や訪問着がそれにあたります。
また、茶道(お茶席を含む)での場面を具体的に仰っているので、気になったのですが.....。 (流派にもよりますが)茶道は磁器や陶器(お茶碗、水指し、建水など)を扱うこともあり、指輪をしているとそれらに当たり、傷をつけることがあり、最悪の場合は破損の可能性もあります。
そのような万が一にならないために、マナーとして指輪はしないことが多いです。
当方は「結婚指輪もダメ」と伺っております。
どうしても取れない時は「懐紙(かいし)」を指に巻きつけ、お稽古をします。
また、趣旨のはっきりしたお茶会ですと、世の中に1つしか現存しないような「高価」なお道具も扱うことになるので、茶道、特にお茶席で指輪をすべきかどうかということがご理解いただけるかと思います。弁償というお金で解決できるものではない.....、ご亭主への配慮ともいえます。

また蛇足ですが、時計についてもせっかくですので触れておきます。
時計というと、一般的に「腕時計」があります。
もちろん世の中にはお着物に合う、ステキな腕時計もたくさんありますが、腕時計をして着物を着ると袖口が切れることがあります。切れるというとイメージしにくいかもしれませんが、袷の着物の場合でしたら八掛地などでつけられている「わさ」の部分が切れてしまうという意味です、夏物でしたら生地も薄いので絽目に引っかかったり、また単衣ものは袖口をくけている(ズボンの裾と同じ、まつるという縫い方に近い)ので糸が切れ、ほどけることがあります、薄物は特に生地がもろもろしてきます。特に時計のリューズ部分が引っかかります、経験済みです...。お分かりいただけるでしょうか?
一、二度の着用でしたら問題ないでしょうが、着用頻度が増えるとある日突然「(時計を左手にしていると仮定して)左の袖口だけが切れている.....。」ということがあります。
私の場合、それもあって小さな懐中時計を帯板に挟んでいます。

かなり話が脱線してしてしまいましたが、
トータルして、あまり細かなことを言うと「着物を着たいけど、着物はやっぱり難しい....。」といわれ敬遠されますので、チャンスがあればご友人にお伝えすれば良いのではないかと思います。
たくさんの方に着物を着ていただきたい、と願うばかりです。
回答に代えさせていただきます。

(2011.2.18)

着物の歴史と移り変わり

着物の歴史1
着物は、長い歴史の中で受けつがれ、育まれてきた世界に誇れる「日本の伝統文化」です。


近年日本では、洋服が一般化していますが、今日もなお、着物が愛され続けているのは「美しい」という理由だけではありません。


着物は、日本の生活や文化にとけこみやすく、日本人の体型や顔立ちによく映り、また、四季のある日本の気候風土にも適しているからです。着物を「ファッション」としてとらえることもよいですが、歴史をたどり着物の移りかわりを知ることで、今までと違った着物が見えてくるのではないでしょうか。


着物の歴史2着物」は、私たちが普段着ている洋服に対することばとして、和服=着物として用いられることが多く、また「着物(きもの)」ということばは、国際語「kimono」として世界に通用します。


本来「着物」とは、広義で「着るもの(衣服)」という意味で、「着るもの」という言葉がつまって「着物」になったといわれています。


その着物は、平安時代(794-1192)に着用していた、小振りな袖で対丈(ついたけ、着るとちょうどの丈の意)の衣服「小袖」がはじまりといわれています。小袖をはじめとして、古代の衣服についてまとめてみました。
 


▼縄文時代(狩猟で入手したものを身にまとうだけの簡単なワンピース状衣服)


着物の歴史縄文時代
縄文時代といわれる原始時代の衣服は寒さ暑さを防ぎ、外敵や雨風から身を守るだけの目的で衣服が用いられていたようです。


衣服に装飾的な意味合いはなく、狩猟で手に入れた獣や魚の皮、羽毛、木の皮などを身にまとっていただけの簡単なもののようです。


そのうち農業や畑仕事をするようになり麻などの繊維が生まれ、それらを用いた織物がつくられるようになりました。
 


▼弥生時代(織った布地を身にまとうワンピース状の衣服)


着物の歴史弥生時代
弥生時代は歴史上で有名な邪馬台国(やまたいこく)を治めた卑弥呼(ひみこ)がいた時代で、中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、女子は貫頭衣(かんとうい)といって大きい布の真ん中に穴をあけ頭を通して着る衣服、ペルーなどに見られるポンチョに似たものを着ていました。


一方の男子は1枚の布を肩からかけて前で結び、もう一枚を腰に巻いて前で結んだ袈裟衣(けさい)といわれるもので、インドなどで着用されているサリーのような形をした衣服だったようです。


また、卑弥呼など身分の高い人物は絹を用いた衣服を着ていたようです。


弥生時代には居坐織(いざりばた)などの原始的な機織(はたお)りや紫草(むらさきぐさ)や藍(あい)などから取った植物染料を使った染めも行われていたようです。


※衣服の形態
・北方系衣服・・・・・一部式といわれる、ワンピース状の衣服
・南方系衣服・・・・・二部式といわれる、上下の衣服
 


▼古墳時代(布を裁断し縫った着物に似た、左前の上下の衣服)


着物の歴史古墳時代
古墳時代になると大和朝廷により大陸との交流も盛んになり中国など他国の影響があったようです。


女子は中国の模倣と思われる「筒袖(つつそで)」の打ちあわせした上衣に、スカートのようなもので韓国のチマチョゴリに似た衣裳(きぬも)を着て、男子は同じく筒袖の打ちあわせした上衣にズボン状のものを足結(あゆい)といって膝あたりを紐で縛った衣褌(きぬばかま)を着用していたといわれています。


この時代では男子、女子ともに打ち合わせは現在とは逆で「左前」であったようです、これらのことは埴輪(はにわ)から知ることができます。


この時代には養蚕(ようさん)も盛んになったようです。
 


▼飛鳥・奈良時代(着物に似た、右前の衣服)


着物の歴史飛鳥奈良時代
飛鳥・奈良時代には遣隋使(けんずいし)や遣唐使(けんとうし)などによりさまざまな分野で中国のものが取り入れられました。


飛鳥時代には聖徳太子により冠位十二階が制定され、官吏の位階を十二階に分け、位により冠と衣服の色が定められ、また奈良時代には礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服(せいふく)を位により服装を三分類する、三公服が制定されました。


衣服では、衿(えり)を立てたコート状のもので袍(ほう)形式といわれるものが支配者階級の服装(朝服)として男子は衣(きぬ)に袴(はかま)、女子は衣に裙(も)というものを着ていたようです。また褶(ひらみ)というものを裳や袴の上からつけていたようです。奈良時代には今までの左前の打ちあわせから、現在の「右前」の打ち合わせに改められたようです。


※袍形式(ほうけいしき)
装束を構成する前開きのガウン状の表着(うわぎ)のことを袍といい、それを着用した形式。
 


▼平安時代(衣服から服装、初期の小袖へ)


着物の歴史飛鳥平安時代
平安時代には遣唐使が廃止され、しだいに日本独自の服装に変わっていったようです。


男子は朝服から束帯(そくたい)へ、女子は唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)や女房装束(にょうぼうしょうぞく)といわれる晴装束(はれしょうぞく)を公家などが着用していたようです。


束帯、唐衣裳装束ともに袖部分は袖口の下を縫わない「大袖(おおそで)」を用い、これは現在の産着(うぶぎ)や長襦袢などに用いられる袖の形のひとつで、現在和服用語では広袖(ひろそで)ともいわれます。特に女性の唐衣裳装束の下に着用した下着を白小袖とよんだようです。


また平安時代は、京都の風土の影響や宮廷文化の発達により特徴ある装束があります。(下表)


※十二単(じゅうにひとえ)
襲衣(かさねぎ)するところからついた名称で、「唐衣裳装束」「女房装束」の俗称。


公家男子(一般男子)公家女子
晴装束束帯(そくたい)女房装束(唐衣裳装束)
略 装衣袴(ほうこ)
衣冠(いかん)
平常着直衣(のうし)狩衣(かりぎぬ)
水干(すいかん)
小袿(こうちぎ)
野外着狩衣(かりぎぬ)
旅 装壺装束(つぼしょうぞく)
衣(きぬ)かつぎ


着物・和服衿の基本形

上領(あげくび)垂領(たりくび)
装束の袍(ほう)
衣冠(いかん)の袍
直衣(のうし)の袍
狩衣(かりぎぬ)の袍
衣褌(きぬばかま)
衣裳(きぬも)
直垂(ひたたれ)
女房装束
小袖など
上領は盤領(まるくび)、丸首(まるくび)ともいわれる。領は衿、盤は円形の衿の意味。衿の上前と下前を斜めに打ち合わせる着装。


※小袖(こそで)
小袖とは礼服(らいふく)の大袖の下に着た下着、盤領(あげくび)筒袖の衣をいい現在の和服、着物の原型といわれています。平安時代中期以降には大袖の下に下着として用いていたものが、平安時代末期には肌着として白小袖を用いるようになったようです。小袖の発生には階級により以下のように違いがあります。


・公家・武家・・・・・装束の下着として小袖を用い、それを白小袖とよんだ。しだいに肌着として用いられるようになった。

・庶民・・・・・庶民の衣の主流であった「袖のない衣」「筒袖の衣」から「袂に丸みのある白小袖」に変っていった。


▼鎌倉・室町時代(小袖のみの姿へ)


着物の歴史室町鎌倉時代
鎌倉・室町時代の衣服の中心は、武家男子の服装は直垂(ひたたれ)、女子は衣袴(きぬばかま)を用いました。武家階級勢力が増し政治の実権を握った時代だったこともあり、やがて戦闘などの目的に応じた実用的な服装へと変っていったようです。


装束の表着を一枚ずつ簡素化し、袴(はかま)や裳(も)は省略され下着ではない、小袖のみの衣服に変っていき、室町末期には現在の着物の原型ができあがったといわれています。このころから「身八つ口」のある着物になったようです。


▼安土・桃山時代(華麗な小袖と帯の姿へ)


着物の歴史安土桃山時代
戦乱の平定した桃山時代には、華やかな美術工芸品などで知られる桃山文化が生まれました。


この時代は繍箔(ぬいはく)、摺箔(すりはく)、絞りなど緻密(ちみつ)な細工のものが多く、染織技術が飛躍的に進歩したことが小袖からもうかがえ、この時代に「辻が花染(つじがはなぞめ)」が染められるようになりました。


衣服は、男子は前時代に生まれた肩衣袴(かたぎぬばかま)が主流で、女子は打掛姿(うちかけすがた)、腰巻姿(こしまきすがた)、また庶民には名護屋帯(なごやおび)が流行したようです。


※名護屋帯(なごやおび)
文禄の役(1592)に朝鮮から現在の佐賀県である肥後の名護屋に伝わった、韓組(からくみ)の技術によって唐の糸で組んだ帯をいう。両端に総(ふさ)がついていて、絹糸を丸組みした縄状の帯。縄帯ともいわれる。長さは一丈二尺(約450センチ)、房は八寸(約30センチ)で、それを腰に幾重にも巻き後ろや横で結んで用いた。男女とも赤が好まれたようですが、白や黄色、青などを用いた多色使いのものもあったようで江戸時代初期まで流行。
 


▼江戸時代(小袖の完成形、着物と帯の姿へ)


着物の歴史安土江戸時代
江戸幕府は徳川家康により開かれ約300年の長い間続いた時代で、鎖国の厳しい封建社会でありましたが、庶民階級が経済、社会面で勢力を発揮し、町人文化が栄えた華やかな時代でもあります。


元禄期(1688~1703)には、元禄文様(げんろくもんよう)とよばれる明るい色調で金糸が多く用いられた華やかな小袖などがつくられ、この頃には現在の着物とほとんど変らない形の小袖が生まれ、小袖が完成した時代ともいわれています。


また江戸時代後期には、帯締め、帯揚げを用いた「お太鼓結び」をするようになったようです。


▼明治時代(和装と洋装)


着物の歴史明治時代
明治維新によって大きな変化があった時代です。開国によって他国の文化が伝わり生活様式、服装様式が急に欧米化しました。


宮中の礼服は洋服となり、それによって上流社会の欧米化が進み和洋折衷(わようせっちゅう)の服装がしだいに一般人にまで浸透しはじめました。


このころの礼服は、男子は黒羽二重五つ紋付羽織袴(くろはぶたえいつつもんつきはおりはかま)で、女子は黒や色無地の縮緬五つ紋付裾模様下襲(ちりめんいつつもんつきすそもようしたがさね)に丸帯(まるおび)が用いられていました。
 


▼昭和・平成~現在


着物の歴史昭和平成
現在の日常生活では洋服が中心となっていて、着物を着る機会は少なくなっています。


一般的に着物は晴着(はれぎ)という感覚が強く、結婚式などのあらたまったセレモニーやお葬式などのフォーマルウェア、礼服として用いられることがほとんどのようです。


日本には昔から伝わる、お正月、成人式、七五三をはじめとする着物にふさわしい伝統行事が四季を通じたくさんあります。


また入学式、卒業式、同窓会、夏のお祭り、七夕、観劇、ショッピング、またお茶やお花、踊り、着付けなどの習い事など着物を着る機会を積極的に見つけ着物を着てみませんか。


日本の民族衣装である着物は日本人によく似合います。
和装、洋装のそれぞれの良さを生かした合理的な衣生活を過ごされることをぜひおすすめします。
 


本サイト着物倶楽部について、詳しい説明は左側の「いんでっくす」からお楽しみください。

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